「きみの友だち」(重松清)①

つながっていなくちゃいけないの?

「きみの友だち」(重松清)新潮文庫

交通事故で
左脚が不自由になった恵美は、
どうせ跳べないのだからと、
縄跳び大会の回し手に
暗黙のうちに決められてしまう。
もう一人の回し手の由香は
病弱な体質だった。
縄を回す練習をしようと
提案する由香に対して
恵美は…。

そんなに誰かと
つながっていなくちゃいけないの?
スマホのTVCMでやたらと「つながる」が
連発されているのを観るたび、
スマホを満足に使いこなせない
五十代の私は思ってしまいます。

友だちからメールが入ったら、
○秒以内に返信しなければいけない
○秒ルールなるものも
子どもたちの間にあるとか
以前話題になっていました。
くだらない世の中になってしまった。
つくづくそう思います。

そんな中、ふと思い出して再読したのが
本書「きみの友だち」です。
この作品はいわば
連作短篇集なのですが、
それぞれ主人公が異なるものの、
登場人物がつながっていて、
一つのしっかりとした
長編小説となっています。

仲間からはじかれたことで
「友だち」の在り方を考えた主人公。
相手を認めながらも
意地を張る男子小学生。
どの集団にもいい顔をしようとして
自分を見失いかける女子中学生。
トロいやつ、神経過敏、
さえない先輩、弱い子、
苦悩する優等生。
そのすべてがどこにでもいそうで、
しかもその誰かが自分と重なりそうで、
物語に吸い込まれます。

その一編一編で問われているものは
「友だち」の形です。
「一人」ではいたくないから
「友だち」をつくる。
しかし「友だち」をつくっても
幸せな気持ちにはなれていないところに
現代の子どもたちの
苦しみが見え隠れしています。
「みんな、くっついていても、
 ほんとうは「ぼっち」なんだと思う。
 みんなぼっち…」
という一節が
端的に表現しています。
「友だち」とは何か、
「みんな」とは何かを考えさせてくれる
作品です。

全編に登場する恵美が、要所要所で
答えを提示しているのですが、
読み手によって様々なとらえ方が
可能だと思います。

多分、大人に向けて
書かれた作品だと思うのですが、
ぜひ中学生の子どもたち、
それも友だちづくりに悩みはじめる
中学校1年生に
強く薦めたい一冊です。
メールやラインでつながりっぱなしの
現代の「友だち」たちは
どう感じるのだろうと、
メールやラインでつながれない
五十代の私は考えてしまいます。

(2020.7.21)

Kranich17によるPixabayからの画像

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA